【鹿児島県 PR課 インタビュー①】四位笙子(鹿児島タレント)「あがり症の女の子が、表舞台で輝くタレントになるまで」。

\OFFICE SHOKOLA代表 四位笙子さん特別インタビュー!!①/

「あがり症の女の子が、表舞台で輝くタレントになるまで」。

鹿児島で輝く女性の素顔に迫る!
今回は、フリータレントとして、鹿児島で司会・モデル業など幅広く活躍されているOFFICE SHOKOLA代表の「四位笙子」さんに話を伺ってきました。

―― 四位さんは、現在、様々なイベントの司会やレポーター、各地での鹿児島PR活動、さつま町の「さつま観光夢大使」など、幅広くご活躍されていますよね。また、昨年までは「2017本場大島紬クイーン」として大島紬のPRにもご尽力いただきました。
元々は大手保険会社にお勤めだったと聞いています。今のような活動をなさるきっかけってあったのでしょうか?

四位氏 元々勤めていた職場はとてもいい環境だったんですけど、「新しいことがしたい」という心境の変化や、色々な事情が重なって、思い切って辞めてしまったんです。

―― ご家族は反対されなかったんですか?

四位氏 仕事は両親に黙って辞めてしまったんです。厳格な家で、きちんと勉強して「まっとうな道」に進むべき、という考えの家でした。自分が両親の思う「まっとうな道」から外れてしまったと思ったのと、なかなか次の仕事が見つからなかったこともあって、2か月誰にも会えず引きこもりになってしまった時があったんです。

―― 意外な過去ですね。

四位氏 半年仕事していない上に、外に出られない状況にもなってしまって、ボロボロでした・・・。
でもある時、友人が鹿児島であったファッションショーに誘ってくれたんです。このまま引きこもっていても暗くなるばかりだし、気分転換に行ってみることにしました。

四位氏 ファッションショーの場で、学生の時にモデルなどのアルバイトをしていた会社にスカウトされたんです。声をかけてくれたのは、当時お世話になった方でした。

―― その会社に入社することにしたのですか?

四位氏 それが・・・。「芸能事務所に入る」と思った親に反対されてしまって。アパレルやモデル業は、親にとっては「まっとうな道」から外れることなんですよね。一番の応援者である両親の反対は辛かったです。
でも、自分の人生なので、自分の意志で事務所に入ることを決めました。
「こうあるべき」という考えから外に出た瞬間でした。

※ 写真1枚目は当時のお写真です。

(つづく!次回予告②:「あがり症なのに、ラジオのレポーター!?」)

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