【鹿児島県 PR課 インタビュー②】四位笙子(鹿児島タレント)「あがり症の女の子が、表舞台で輝くタレントになるまで」。

\OFFICE SHOKOLA代表 四位笙子さん特別インタビュー!!②/

「あがり症の女の子が、表舞台で輝くタレントになるまで」。

鹿児島で輝く女性の素顔に迫る!
今回は、フリータレントとして、鹿児島で司会・モデル業など幅広く活躍されているOFFICE SHOKOLA代表の「四位笙子」さんに話を伺ってきました。

*この記事は前回(3月27日記事)の続きです。

―― その会社に入ってみて、どうでしたか。

四位氏 転機があったんです。地元ラジオ局(MBCラジオ)のレポーターである「ポニーメイツ」になったんですが、このことが、私の人生を変えることになりました。
 私はあがり症で、人前で話すことがとても苦手だったんです。
 保険会社に勤めていた時も、皆の前で話をしないといけないときは声が震えてひどいものでした。
 そんな自分を変えたいというのも、退職の理由だったんです。

―― 今からは想像がつかないですね。そのような状態でラジオレポーターをするってすごいですね。

四位氏 生放送ですしね(笑)。やれる自信もないし、今まで勉強ばかりの人生で、ラジオもほとんど聴いたことがなかったので良くわかっていませんでした。
 でも、「良くわからないけど面白そうだからやってみよう。」と思ったんです。

―― ポニーメイツになってみてどうでしたか?

四位氏 2つの意味で人生を変えるきっかけになりました。1つ目は、はじめ緊張で声が震えていたラジオの収録が、1週間で5日の生放送を毎週経験しているうちにだんだんできるようになっていったんです。
 このことから、人間必要に迫られたら「できる」のだと学んだんです。「自分にできるのかな?」と思うことでも、せざるを得ない環境に身を置いたらできるし、それが成長のきっかけにもなると。
 「やればできる」を体感して、その後も、新しいことにチャレンジする時の怖さを乗り越える良い経験になりました。

四位氏 2つ目は、鹿児島が大好きになったことです。ポニーメイツは、県内各地をラジオカーで回って、現地から情報発信する仕事でしたが、今まで気づかなかった鹿児島の素材の豊かさ、人のあたたかさに触れることができました。「鹿児島って面白いところだな」と実感したときに、ちょうど鹿児島の街歩きガイド「薩摩こんしぇるじゅ。」の立上げメンバーにならないかとの打診があったんです。

―― 私も「薩摩こんしぇるじゅ。」の四位さんにガイドしていただいたことがあるのですが、鹿児島の街中を歩きながらディープな歴史を教えていただいて、すごく楽しかったです。

四位氏 ありがとうございます。でも、実は「こんしぇるじゅ。」になるまで歴史を全く知らなくて。「島津斉彬」の「なりあきら」が読めないくらい(笑)。「こんしぇるじゅ。」になって、歴史や地理を機軸に「まち歩き」ガイドをなさっている東川隆太郎先生と一緒にコースの企画・選定をしているうちに、歴史に“どハマリ”したんです。

―― 今すごくお詳しいので意外です。

四位氏 最初はその道に入るのを反対していた父でしたが、「こんしぇるじゅ。」になって歴史ガイドとして活躍するようになって、すごく喜んでくれました。父が歴史好きなんですよね。弟の名前も西郷さんにゆかりのある名前ですし。

―― お父様も応援してくれるようになってよかったです・・・!
(つづく!次回予告③:観光大使になったきっかけは「〇〇」!)

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